翡翠加工・ 勾玉いろいろ 112-3 開眼

ルーターで眼を開けました。

6個の孔を開けるのはちっと大変ですが、焦らず時間をかけて開けました。

それぞれが生き生きとしてきましたが、まだ全体のバランスが取れていません。

それは、これから線刻があるのでまだ完成型ではないからです。

 

勾玉 翡翠勾玉 翡翠勾玉 翡翠

トラックバック

このブログ記事に対するトラックバックURL:

コメント & トラックバック

縁結人 :

6つそれぞれの個性を引き立たせるのは、同時進行でバランスを取る難しさがありますね。
春翠さんはいつも同時に複数の作品を作られますが、縄文・弥生・古墳と、各時代の石工人さんたちはどうだったのでしょう?

ところで、古いヒスイ関係の本を読み返しても、縄文前期末葉の唯一の硬玉製大珠のことからしか書いてなくて、考古学の世界では攻玉の加工の始まりからしか興味がなかったような感じですね。
多分、旧石器時代にヒスイ海岸に石材を見つけて拾い出した当初からヒスイは採取されていたと思いますが、叩き石につかったくらいでは相手にされなかったのでしょうかね。
硬い石に孔を空けたり、形を整え研磨する加工技術、つまり人間の知恵や工夫の跡に価値を見出し、呪術などのツールとして活用したのかもしれない精神性には注目しても、ヒスイの側に立った視点のようなものは読み取れません。
宝石と呼ばれるような質のものは、人の手で加工され、美しく磨き上げられなくてはなんら価値もないと書いてもありました。

3年間、ヒスイ海岸エリア全域を歩いてみましたが、東の海岸エリアでは拾ったままで美しいと思えるようなものにはであえませんでした。でも、西の宮崎辺りでは僅かですがそのままでも充分に綺麗な石と出合うことができました。それ以上に手を加えることを許さない自然の造形、研磨の美しさ、手触り感にいまでもうっとりします。

旧石器時代にこの地に始めて訪れ、海岸の礫を拾い始めた最初の頃から、きっとそんな綺麗な石を見れば、拾っていたのではと想像しております。ていうか、今も昔もひかりもの(きれいなもの)には目が無い女性たちが、気がつかないわけがないと思うのです。この海岸で石の採取が始まった当初の頃に限ってということでは、蛇紋の石斧などの実用性の高い重くて堅牢な道具は男性が、指先の繊細な技術に使う刃物などの小さな道具や美しい飾り玉は女性の感性が選び取っていたのでは・・・雨音を聞きながらぼんやりそんなことを考えながら過ごした一日でした。

春翠 :

縁結人さん、今晩は。

現代では翡翠加工の道具が進んでいるので、幾つかの翡翠を同時進行で製作できます
が、古代では道具が限られていて完成までに時間がかかるので、1つを完成させて
から次の物を作り始めたのではないでしょうか。
時代も進み、攻玉の専門集団ができた後は、おそらく流れ作業のシステムが出来
上がっていたと思います。

何時の時代から翡翠を拾い加工しだしたかは難しい問題ですね。
石で石を加工しなければならない石器時代には、石斧などの道具を作るには
翡翠は硬すぎるのであまり見向きもされなくて、かえって加工し易い蛇紋岩や
ネフライトの方が注目されたのではないでしょうか。
生活に余裕が出てきてから、装飾用や儀式用に、より硬くて美しい翡翠を加工し
始めたような気がします。
それが何時のときからかは永遠の謎、、、。
夫が妻に、若者が彼女に喜んでもらおうと、一生懸命作った時代もあったのでは
ないかと考えています。

女性は勾玉や大珠の完成品には興味がありますが、翡翠原石や加工にはあまり興味
が無いように思えるので、翡翠を拾ったり加工したりしたのは男性ではないかなと
思っています。
(現在でも、物を集めるコレクターは女性よりも男性の方が多い。)
あるいは、女性が拾ってきた翡翠の加工を男性に頼んだかもしれませんね。

以上、全て個人の勝手な想像です。
古代人と翡翠との関わりを、あれこれ考えるのは楽しいですね。

コメントする

カレンダー

2018年10月
« 9月    
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031